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大津地方裁判所 昭和44年(わ)79号 判決

被告人 中貝仁勇

昭九・一・二〇生 無職

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中三六五日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、短気な性格で暴力行為の習癖を有する者であるが、さらに常習として、

一  昭和四四年三月一〇日未明、当時京都市内で運転していたタクシーに乗合せた客の田端悦子(当時三四年)を同日午前二時三〇分ごろ、大津市皇子が丘一丁目一番一号所在の皇子が丘公園内の山道に連行し、とめた自動車内で同女に接吻をしかけたところ、同女が被告人の顔面を平手で叩いて抵抗したので立腹し、手で同女の顔面を二、三回殴打し、同女の両脇を抱えて車外に引きずり下ろしたうえ、路上に転倒した同女を引きずり、かつ同女の身体を数回足で蹴りつけ、よつて同女に対し、治療約二六日間を要する顔面打撲擦過傷、腰臀部打撲傷(血腫)、左下肢筋挫傷の傷害を負わせ、

二  同月一九日午後七時ころ、京都市中京区烏丸四条上る地内の四条烏丸通りの交差点付近において、田中靖也(当時二九年)に対し、同人の車両の運転方法が悪いと因縁をつけ、「なんて運転をするんだ、危いやないか、痰ぶつかけてやろか」等と怒鳴り、いきなり呆気にとられている同人の顔面を一回手拳で殴打し、その胸倉を押し、もつて暴行を加え、

三  同年一〇月二四日午後零時五〇分ころ、同市右京区嵐山茶尻町四六番地の二浅田善次郎(当時七一年)方居宅前を通りかかつた際、同人は当時被告人が居住していたアパートの管理人であつて、平素の被告人の言動からとかく相互の交際に円滑を欠いていたところ、被告人において、道路に面する台所にいた同人の方に向つて唾を吐きかけたので、同人から「大人気ないことをするな」と咎められるや、「何を出て来い、やつてしまつてやるぞ」と怒鳴り、同人が「お前らみたいな前科者に出て行つたらやられるから出んわい」など言つて奥の間に引込んだが、憤激をつのらせ、同家南側の庭先にまわり、同家南側の縁側から土足で同家奥六畳の間に上り込み、もつて故なく他人の住居に侵入し、着ていたジヤンバーを脱ぎ、同人に向い、「いてしまつてやるぞ、お前ら殺したかて三年、五年入つて来たらええのや」と怒号し、同人の身体に危害を加えるような気勢を示して脅迫した

ものである。

(証拠)(略)

(事実認定の補足説明及び被告人の主張に対する判断)

一  判示一の所為につき、被告人は、当公判廷においては、田端に対し何もしていないと陳述する。もつとも第一回公判期日における陳述では、田端のオーバーの襟を掴んで押したり引いたりした、相手も被告人のどこかを掴み、押したり、押されたりしているうち、車のドアが開いて二人とも車外に転落したことはある、しかしそれ以外の暴行はしていないとも弁解する。しかしながら前掲証人田端悦子の供述部分によれば、被告人が同女に対し判示の経過で暴行に及んだことが認められ、また右暴行の態様からみて同女が判示の傷害を負うにいたつたことも優に肯認できる。同女が暴行を受け顔面等に負傷している事実は、前掲寺村重一の司法巡査に対する供述によつても裏付けられるところである。被告人は、田端を判示場所に連行したのは同女の承諾があつたからである、また同女の暴行の態様、受傷についての供述は針小棒大な誇張で嘘言であるなどと主張するが、深夜たまたま被告人が運転するタクシーに乗り合わせた同女がまつたく面識もない被告人に誘われるまま判示場所に同行するとは不自然きわまりないことである。同女が京都祇園の地内でバーを経営するいわゆる水商売の経営者であつたからといつて、被告人の主張するような行動に出たとは認め難い。この点に関する同女の供述は、自然であつて不合理なところは見当らず措信するに足る。また判示場所における被告人から受けた暴行の態様、それによる受傷についての同女の供述をみるに、これが誇張に過ぎ嘘言であるとは認められない。被告人の弁解及びその主張は理由がなく採りえない。

二  判示二の所為につき、被告人は田中を殴つたことはないと陳述する。しかしながら前掲証拠によると、被告人は、タクシーを運転し、烏丸通りを北進中、同通りの西側の錦小路から烏丸通りに進入し、同通りを右折して南進した田中靖也運転の車両が同通りに進入するに際し一旦停止をせず、北進中の被告人運転車両の前面に飛び出したので、被告人は衝突を避けるため急制動の措置をとつて急停車をせざるをえなかつた、そこで田中の運転方法を詰問するため、同車を追いかけ烏丸通りを南進し、四条烏丸通りの交差点で信号待ちで停車した同車に追いついたので、被告人は自車より降りて田中車の傍らに寄り、そこで判示の暴行に及ぶにいたつたこと、もつとも田中としては、自らの運転方法が悪くて被告人運転の車両に被告人主張のような措置をとらせたといつた自覚を全然もつていなかつたものであるが、いきなり被告人から判示のような暴言を浴びせられ、運転席のドアが開けられるや、被告人より手拳で突くようなかたちで顔面を殴打され、かつ胸倉を押された、同人としては事情もわからないまま呆然としている間に被告人から暴行を受けたので、このような暴力沙汰は理不尽と考え、直ちに警察に届出るにいたつたことが認められるのである。この点に関する前掲証人田中靖也の供述部分は信用するに足る。同人の顔面を殴打したことはないという被告人の供述は採るをえない。

三  判示三の所為につき、被告人は罪を犯した覚えはない、浅田と会い、同人に前科者と言われたので、同人方居宅に入つて行つたものであつて、右は正当な行為である、また浅田に対し脅迫はしていない旨陳述する。前掲証人浅田善次郎、同佐藤静恵の供述部分、司法警察員作成の実況見分調書、並びに前掲の検察事務官作成の略式命令謄本のうち、右京簡易裁判所の昭和四四年一月一七日付略式命令によれば、被告人は、本件当時浅田善次郎が管理人をしているアパートに居住していたが、時折の被告人の言動がなにかと物議をかもし、勢い浅田らとの交際が円滑を欠いていた、被告人は、昭和四三年八月中、被告人居住のアパート前で浅田と些細なことで口論立腹し、同人の顔面に唾を吐きかけ、同人に暴行を加え傷害を負わせたことがあり、この件で罰金刑に処せられたこともあつた、ところで本件は、被告人が浅田方居宅前を通りかかつた際、道路に面する台所で浅田が立つていたところ、被告人はなにゆえか同人の方に向つて唾を吐きかけた、同人の顔にかかつたとまでは思われないが、同人が腹立ちまぎれに、「大人気ないことをするな」と咎めるや、被告人は、すぐに反応し、「何を出て来い、やつてしまつてやるぞ」と怒鳴り出した、そこで同人が「お前らみたいな前科者に出て行つたらやられるから出んわい」と応じたところ、被告人は、台所の引戸を開けて台所出入口に入つて来た、そのころ騒ぎの物音に気付いて浅田の内妻である佐藤静恵がその場に駆けつけ、浅田を奥の間に連れ込んだ、一方被告人の妻もやつて来て被告人を引張つて一旦戸外に出た、しかしながら被告人は納まらず、浅田方南側の庭先にまわり、同家南側の縁側から土足のまま同家奥六畳間に上り込んだ、そして着ていたジヤンパーを脱ぎ、「いてしまつてやるぞ、お前ら殺したかて三年、五年入つて来たらええのや」などと怒号した、被告人の言辞や見幕に恐怖を覚え、静恵が警察に電話するに及んだ、という事実が認められる。被告人は、証人浅田らの各供述は、まつたくの嘘言で出鱈目であると主張するのであるが、同証人らの各供述が嘘言であると疑うに足る資料はなく、その供述内容に不自然、不合理なところはない。被告人の捜査官に対する各供述調書によると、本件の事情は右とまつたく異なり、被告人が浅田方居宅前を通行していた際、連れていた子供がものにつまづいて転倒して泣いたのを浅田が見て台所の窓より「前科者の子供が泣きやがつてうるさい」と言うので口論になつた、同人方勝手口の土間で、出て来た同人の内妻や娘に「わしが何をしたのだ」などと言つていると、奥の間に居る浅田が「そんな前科者と話をするな」と放言するので、一層腹が立ち、庭先にまわり、奥の間に一、二歩上り込んだが、被告人の妻に抱きつかれ引張られたので、すぐ庭に下りた、旨供述する。なるほど、浅田が被告人に「お前らみたいな前科者に」などと口走つたことは、前記認定のとおりであるが、同人が右の発言をしたのは前記の事情のもとで一回限りの発言であることが窺えるのであつて、被告人が供述するように、同人において何度も被告人を前科者と罵倒する放言をしたとは認め難い。けだし、それまでの被告人と浅田との間柄からみて、また被告人の平素の言動を見聞し被告人を恐れている同人が軽々に被告人に向つて何度も前科者と放言すると考えるのは不自然といわざるをえない。本件の経過は判示のように認定できるのであつて、これに反する被告人の右供述は措信することができない。

四  ところで、被告人は、浅田から前科者と言われたので同人方居宅に入つて行つたものであつて、右は正当な行為であると主張する。もとより浅田が被告人に対し、「お前らみたいな前科者に」といつた発言は不穏当な発言であることは否めない。しかしながら事の発端は被告人のまさしく大人気ない挙動に由来するものであつて、近隣の居住者として浅田が被告人を咎めたのを強いて非難するには及ばない。続いて被告人の挑発的な発言に応じた浅田の前記発言は、いわば売り言葉に買い言葉といつた類いのものとみるべく、以後の被告人の所為は憤激に駆られた理不尽な行為であつて、これをもつて正当な行為ということはできないし、違法性を阻却するものではない。

被告人の主張は採用できない。

(累犯前科)

被告人は、昭和四一年三月一七日大阪高等裁判所において、暴力行為等処罰に関する法律違反の罪により懲役六月、原審の未決日数中本件に満つるまでの日数を(法定通算に加え)刑期に算入する、との判決を言い渡され、右裁判は同年一一月一五日確定しているので、同日右刑の執行を受け終つたものであるが、右事実は検察事務官作成の前科調書(甲)び及右罪の裁判の判決書謄本によつて認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、傷害、暴行、脅迫の各所為は包括して暴力行為等処罰に関する法律一条の三前段(刑法二〇四条、二〇八条、二二二条一項)に、住居侵入の所為は刑法一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右の住居侵入と右の常習脅迫との間には手段結果の関係が存在すると考えられるので、刑法五四条一項後段、一〇条により結局以上を一罪として重い包括された常習暴力行為の罪の刑に従い処断することとし、被告人には前記前科があるので、刑法五六条一項、五七条により再犯の加重をし、その刑期範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中三六五日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させない。

(量刑の事情)

量刑にあたり特に考慮したのは次の諸点である。

一  被告人の判示所為をみるに、まづ判示一の所為は、その行為の態様からしてきわめて悪質な犯罪というべきであり、被害者に与えた精神的苦痛は大きいものがある。しかるところ被告人は被害者をあげつらうをこととし、自ら被害者に対しなんら慰藉の方策をとつていないものであつて、厳しく非難せざるをえない。また判示二の所為は、被告人の他を顧みることなく、独善的で執拗、粗暴な性情の顕著な発現を示す犯行というべく、たとえ被害は些少であるとはいえ、理不尽な暴力沙汰は黙過できない。さらに判示三の所為も、なるほど被害者の不穏当な発言が事を大きくしたと窺えるものの、発端は被告人自身の非常識な挙動に由来しているのであつて、事の成り行きを度外視して被害者の発言のみを取り上げ、これを非難するのは社会的相当性を欠く。被告人の当該行為は行き過ぎた暴挙といわざるをえず、その刑事責任を免れしめるものではない。さらに被告人の前科歴、とりわけて本件と同種の罪により処罰を受け、それほど時日を経ていないのに、本件各犯行を重ねていること、本件各犯行についてまつたく反省の態度が窺えないこととあいまち、被告人の悪性を示すものといわざるをえない。

二  被告人に対する本件公判審理がきわめて特異な経過を辿つたことは後述のとおりである。被告人は、あまりにも自らの主張に偏執し、ただ裁判所の公判審理を独断偏見に満ち公正を欠くと非難することとし、一方でまた被告人のため選任された国選弁護人の真摯な弁護活動を誹謗し、徹底して公判審理の進行に抵抗して訴訟関係人の度重なる説得を受け容れず、自らの要求に固執し、裁判拒否の行動をとつた。本件が当初の起訴以来ほぼ一〇年の歳月を閲するに及んでいるが、被告人自らが求めて迅速な裁判を受ける権利をとざしたものといわざるをえない。被告人の本件犯行は歳月の経過によつて、いわば旧聞に属するが如き観を呈しているが、本件公判審理の経過の事情は量刑にあたり考慮せざるをえない。

また被告人に対する未決勾留は、その間に道路交通法違反罪による罰金刑の換刑処分である労役場留置(一二日間)が執行されているので、もとよりこれを除いて右勾留日数を通算すると、起訴前のそれを含め六六四日に及んでいる。しかしながら被告人に対する勾留が比較的長期に及ぶにいたつたのも、被告人において、正当な理由がないのに、あえて公判手続の進行を拒否したことに由来する。右勾留日数に被告人の責に帰すべき事由によつて生じた勾留日数が多く含まれているといわざるをえないので、未決勾留日数の本刑算入はこれを考慮して定めるのが相当である。

(本件公判手続について)

当裁判所は、本件の公判審理において、事実審理の最終の公判期日である昭和五四年二月二二日の第二六回公判期日に、被告人の出頭がなかつたほか、被告人の国選弁護人においても出頭しなかつたところ、当該期日の公判手続を行い審理を終了し、判決にいたつているので、その経過と理由を説明しておく。

一、本件公判審理の経過について

(一)  被告人は、まづ昭和四四年四月五日判示一の事実に対応する田端悦子に対する常習傷害の罪により起訴され(もつとも、被告人は、同女に対する強姦致傷の被疑事実により同年三月二二日勾留されている)、被告人勾留のまま、裁判所は福田公威弁護士を国選弁護人に選任のうえ、同月二一日の第一回公判期日、次いで同年五月二日の第二回公判期日と公判審理が進められたところ、被告人は右第二回公判期日における弁護人の行動、裁判所の訴訟指揮を非難し、同月七日裁判官忌避の申立をなすとともに(右申立に対しては同月一六日却下決定があり、これに対する即時抗告の申立も同年六月一二日棄却決定がなされている)、同月二一日大阪高等裁判所に管轄移転の請求をなしたので(同年六月二二日棄却決定)、この間公判手続の停止がなされた。その後同年六月二八日判示二の事実に対応する田中靖也に対する常習暴行の事実の訴因追加請求がなされたが、一方福田弁護人から弁護人の辞任届がなされ、裁判所は同国選弁護人を解任するとともに、同年七月一六日竹内角左衛門弁護士を国選弁護人に選任し、また被告人に対し、同年九月五日右勾留につき保釈許可決定がなされ釈放された。そして同年九月一〇日及び同年一〇月二〇日と第三、四回の各公判期日が重ねられた。ところが被告人は、同年一〇月二八日浅田善次郎方居宅への住居侵入、同人に対する常習暴力行為の被疑事実により逮捕され、引続き同月三〇日勾留された。そして被告人勾留のまま同年一一月七日判示三の事実に対応する浅田方居宅の住居侵入、同人に対する常習脅迫の事実の訴因追加請求がなされ、同月一九日第五回公判期日の審理が行われた。このころから被告人は、盛んに身体の不調を訴え、出廷不能を上申し(しかし、裁判所からの被告人の病状照会に対する滋賀刑務所長の回答によると、出廷に支障はなく可能と診断されている)、かつ勾留の取消請求等を繰り返し、右各請求は却下されている。昭和四五年三月二三日の第六回公判期日には、被告人は裁判官の出廷の勧告を受け容れず出頭しなかつたが、裁判所は刑訴法二八六条の二を適用して当該期日の公判手続を行つた。次いで同年四月一〇日の第七回公判期日には、被告人も出頭し公判審理が行われたが、この段階でいわゆる罪体に関する検察官請求の証拠調は終了している。しかるに被告人は同月一七日裁判官に対する忌避申立に及び(右申立に対し同年五月六日却下決定があり、これに対する即時抗告の申立は同月二二日棄却決定がなされ、右棄却決定に対する異議申立は同年六月六日棄却されている)、この間公判手続の停止がなされた。一方被告人は同年六月三日竹内弁護人の弁護活動を非難して同弁護人の解任願を申立て、竹内弁護人からも、「被告人から屡々弁護辞任を申入れられ、その任に耐えられない」等の理由で国選弁護人辞任の申出がなされ、結局裁判所は同月一二日同国選弁護人を解任し、浜田博弁護士を国選弁護人に選任した。そして裁判所は公判期日を同年九月三〇日と指定したのであるが、同月二八日被告人から裁判官に対する忌避申立がなされて公判手続の停止がされたので、右公判期日は取消された。その一方被告人は、浜田弁護人の弁護活動を誹謗して同弁護人の解任を請求し、浜田弁護人からも、同月三〇日、「訴訟進行につき被告人と弁護人の意見が一致せず、被告人は弁護人の辞任を希望しているし、弁護人として被告人の信頼がなければ職責を全うできず、裁判の公正が疑われてもいけない」等の理由で解任願が出され、裁判所は同年一一月一八日同国選弁護人を解任し、石原即昭弁護士を国選弁護人に選任した。そして同月三〇日被告人に対する前記の昭和四四年一〇月三〇日付勾留につき、その拘禁が長くなつたとして右勾留の取消決定があり、同日被告人は釈放された。

(二)  裁判官の交代があつて、公判期日が昭和四六年一〇月二八日と指定されるや、被告人から裁判官忌避の申立がなされ、公判手続の停止がなされたので右公判期日は取消された(右忌避の申立は却下)。そして昭和四七年五月一五日の第八回公判期日に被告人は出頭せず、身体不調で公判維持は不能である旨訴え、さらに裁判官の交代があり、昭和四八年七月九日、同五〇年一〇月一六日、同年一二月五日と各公判期日が開かれるも被告人は出頭しない。この間被告人は身体状態が不良で公判期日に出廷できない旨強調しているが、検察官の照会に対する被告人を診察した医師の回答書によれば、神経症状を呈するが、日常生活は可能であり、肉体的、精神的に公判に出頭できないほどの状態にはいたつていないとの診断がなされている。

(三)  裁判官の交代があつて、当裁判所が審理を担当することになつた。そして昭和五一年四月二八日の公判期日は、弁護人からの期日変更申請により同年六月二一日に変更されたが、当裁判所が弁護人を通じ公判審理を強行するほかないとの意向を内示したためではないかと考えられるが、同年六月一六日受付で被告人から突如石原国選弁護人の解任請求がなされ(被告人の意思を尊重せず、かつ被告人に裁判上の不利益を生じさせるため等の理由が掲げられている)、かつ裁判官に対する忌避申立がされた(同月一七日、刑訴法二四条一項により右申立を簡易却下決定。以後被告人は、当裁判所の指定する公判期日に裁判官の忌避申立を繰り返し、いずれも簡易却下の決定)。一方同月一六日石原弁護人からも、「現在被告人と弁護人間の信頼関係が欠如するに至り、これ以上弁護人の立場に留つても被告人のために十分にして実質的な弁護をなしえないとの結論に達したので」との理由で辞任届が出された。当裁判所は直ちに同国選弁護人を解任しなかつたが、同月二一日及び同年七月一九日の第一二、一三回各公判期日に被告人及び弁護人の出頭がなかつた。当裁判所は同年八月二四日石原国選弁護人を解任し、木村靖、高見沢昭治両弁護士を国選弁護人に選任した。両弁護人は、被告人に対し、公判期日には出頭して自らの主張を十分に開陳するよう説得に努めたことが窺えるが、同年一〇月四日の第一四回公判期日は、被告人の出頭がなく、かえつて被告人は両弁護人の弁護活動を非難し、国選弁護人解任の請求をしてきた。当裁判所は、被告人に対し、両弁護人の解任はしない、公判期日に出頭して審理を尽すことが肝要である旨の見解を示し、被告人の再考をまつた。そして昭和五二年二月一四日の第一五回公判期日にも被告人は出頭せず、同日木村、高見沢両弁護人から「被告人と弁護人ら間の信頼関係が欠如するにいたり、これ以上弁護人の立場に留つても被告人のために十分にして実質的な弁護をなしえない」との理由で辞任届が出された。当裁判所は、両弁護人を解任せず、同年九月一九日の第一六回公判期日は、勾引状を発し被告人を勾引して開廷し、公判審理を進め公判手続の更新が行われた。なお当日出頭した両弁護人は、辞任届を容れて国選弁護人の解任方を要請し、被告人は、両弁護人に面と向つて、その出廷は被告人の利益ではないなどと弁護活動の非難を繰り返した。結局、当裁判所は、両国選弁護人を解任すべき正当な理由があると認め、同月二九日両国選弁護人を解任した。ところで次回公判期日は同年一〇月二八日と指定されていたのであるが、同月七日被告人は大阪高等裁判所に管轄移転の請求をなし(同月一八日棄却決定)、当裁判所は、この間公判手続の停止をしたので、結局同月二八日の公判期日は取消さざるをえなかつた(以後も、公判期日の都度、被告人から管轄移転の請求がなされるが、当裁判所は刑訴規六条但書の適用を相当とし、公判手続の停止はしなかつた)。

国選弁護人の選任は難渋するも、当裁判所は同年一二月一九日武川襄弁護士を国選弁護人に選任し、公判審理の進行をはかつたが、昭和五三年三月三日及び同年四月一四日の各公判期日は、発付した勾引状の執行が不能であつて被告人の出頭がみられず、開廷できなかつた。しかし右各公判期日を被告人が知悉していたことは、右期日の到来に先立つて、その都度被告人から当該公判期日の変更申請、裁判官の忌避申立、管轄移転の請求がなされていたことで明らかである。しこうして、さらに被告人から同年三月三日付、同年六月七日付で武川襄国選弁護人の解任請求が出されている。かくして同年六月九日の第一九回公判期日は、その前日被告人を勾引して開廷にいたつた。当日の公判手続において、被告人の捜査官に対する各供述調書の証拠調と弁護人の被告人質問が行われた。次回の公判期日は同年七月一四日と指定され、弁護人申請による被告人の妻富貴子の証人尋問を予定し、被告人は出頭を誓約して勾引状を発布する要はないと述べ、当裁判所もこれに信をおいたのであるが、突如同月一三日受付で被告人から右公判期日の変更申請、裁判官忌避申立、管轄移転請求、国選弁護人解任請求が一括して出される始末で、当裁判所は直ちに勾引状を発布し、右公判期日の開廷をはかるも、執行不能で被告人の出頭がなく開廷できなかつた。そこで当裁判所は、もはやこのうえは被告人の身柄を拘束して本件公判審理の進行をはかるのを相当と認め、同年九月一八日先にした昭和四四年九月五日付保釈許可決定を取消した。同月二九日及び同年一〇月三〇日の各公判期日は、右保釈取消決定にもとづく被告人収監の執行ができなかつたため開廷できなかつたが、同年一一月一七日被告人は滋賀刑務所に収監された。そこで指定された同年一一月二四日の第二三回公判期日に被告人は出廷を拒否し、かつ同日付で武川国選弁護人の解任請求が出された。右公判期日は被告人の出頭がなかつたので開廷にいたらなかつたのであるが、訴訟進行につき、検察官は、すでに立証は終了しており、意見を述べる段階にあると表明し、武川弁護人からは、「被告人と収監以来、相当時間面接の機会をもつたが、その際被告人が弁護人に主張する主要点は、(一)身柄拘束では満足な審理が受けられない、(二)一〇年前の事件であり、証拠が散逸しているから相当な猶予期間が欲しい、(三)審理するのであれば被告人申請の証人を採用して取調べて欲しい、との三点である。ところがさらに被告人は、弁護人なしで審理して欲しい意向をもつているようであり、現に本日付で弁護人解任請求が出されている、自ら国選弁護人として留まること自体被告人に不利益を与えるのではないかとも思料せざるをえない。また公判の進行につき、勾留日数も五六〇日余に達し、長期になつているので、身柄を釈放し、公判期日ごと勾引によつてまかなうのが相当と考える」旨の意見が述べられた。そして同年一二月二日武川弁護人から「被告人と弁護人間の信頼関係が欠如するにいたり、これ以上弁護人の立場に留まつても、被告人のために十分に実質的な弁護ができない」との理由で辞任届が出された。当裁判所は、同弁護人からより具体的な辞任理由の回答を得たが、なお同弁護人に対し、解任する正当な理由はないといわざるをえないので解任できないこと、国選弁護人の地位にあつて弁護人としての職務を遂行できる余地もあるのではないか、本件がいわゆる必要的弁護事件であるし、公判期日に出頭して公判審理が進められるようにとの要望をするとともに、一方、被告人に対し、検察官は本件の立証を終えて最終の意見陳述の段階にあると述べていること、被告人の本件に関する主張あるいは反証は公判廷において尽すべきであつて、出廷拒否は自らの権利を擁護する所以でもないこと、場合によつてはやむをえず刑訴法二八六条二の規定に則り公判手続を行うこともありうることを掲げ、次回公判期日に出廷するよう勤告の書面を発した。しかし、同年一二月二二日の第二四回公判期日に、被告人は再び出廷を拒否し(滋賀刑務所長の報告書によれば被告人が出廷拒否の理由とするところは、(1)体の具合が悪い(自律神経失調症)(2)一〇年前の事件であり、公正な裁判はできない、(3)弁護人もいないのに裁判はできないではないか、というものである)、また武川弁護人の出頭もなかつたので開廷にいたらないで終つた。しかしながら被告人は身体の具合が悪いと訴えているものの、当裁判所の照会に対する滋賀刑務所長の昭和五四年一月一八日付回答書によれば、被告人が公判廷に出廷することは可能と診断されているし、また被告人のこれまでにみられる各種の訴訟行為に照らしても、被告人が公判廷に出頭して自らの訴訟上の防禦権を行使するになんの支障もないことが認められる。

ところで、当裁判所は、被告人の身柄を拘束しているし、できるかぎり迅速な公判審理をはからなければならないところ、公判期日が切迫していることに鑑み、さらに昭和五四年一月八日寺下勝丸弁護士を国選弁護人に選任し、武川弁護人と共に被告人の弁護に当られることにした。同月一九日に指定されていた公判期日は、弁護人の変更申請により同年二月八日に変更されたが、被告人は、同年一月二五日受付で武川弁護人の、また同年二月六日受付で寺下弁護人の、各国選弁護人解任請求を出してきた。その内容は、要するに弁護人の弁護活動を非難し、裁判所は不公正な裁判を進めて被告人の利益を侵害しているというものである。当裁判所は、同年二月八日の公判期日に先立ち、被告人に対し、前回同様、同期日に出廷するよう出廷勧告を送つたが、同日の第二五回公判期日に被告人は出廷を拒否し、当日尋問を予定して呼出しておいた証人中貝富貴子も身体が不調で出頭できない旨の不出頭届を提出して出頭しなかつた。当裁判所は、刑訴法二八六条の二の規定の適用を相当とし、当該期日の公判手続を行い、証人の喚問を留保したが、出頭した寺下弁護人(裁判所は同弁護人を主任弁護人に指定)から次のような見解が述べられ、被告人との意思疎通は到底実現不可能であると考えられるとされ、国選弁護人辞任を申出られた。

「被告人は、本件起訴は不当であり、訴訟の進行はその手続方法において適正を欠く上、不当に勾留されている現状では、被告人不在のままの公判廷において国選弁護人の立会によつて訴訟の進行が図られることは、本件訴訟を通じ人権尊重の実現を遂行しようとする被告人の意思に反するもので、絶対承服し得ず、当面身柄が釈放されるまでは訴訟の進行を阻止するとの立場に立つている。当弁護人としては、訴訟を構成する裁判官、検察官、被告人三者の夫々の役割と立場を考慮すれば、被告人の右主張の当否は別論として、弁護人は被告人の意思を尊重すべきものであり、被告人の基本的立場と相容れない行動にでることは、被告人の意思をふみにじり、被告人に対しその不利を図る裏切り行為ともみなされ、弁護人としての信義に反し許されないと考える。さらに被告人とは信頼関係を欠き、被告人は当弁護人の辞任を強く求めている。被告人と弁護人との信頼関係は私選、国選を問はず基本的要因であり、辞任要求というやうな信頼関係の断絶は弁護人たるべき基盤を失わせるものと考える。かかる状況下において訴訟に関与することは弁護人として差控えるべきものと思料するので、訴訟の進行には協力出来ず、今後の公判期日には出頭しかねる。

かくて、当弁護人は国選弁護人に選任されたが、その責務を遂行できないと思料するので、弁護人を辞任するほか仕方がないと考える。」

当裁判所は、大要次のような見解を表明した。

「弁護人が本件弁護について困難な立場にある事情は、これまでの本件訴訟の経過に鑑み理解できないわけではない。弁護人は被告人の権利、利益の擁護を任務とするので、被告人の利益に反する訴訟行為をなすべきでないというのはもとよりのことである。当裁判所としては、本件の訴訟手続が違法かつ不当とは考えないけれども、被告人はこれに抵抗し、出廷を拒否しているのであつて、しかも国選弁護人のあなたにまつたく協力せず、弁護人が公判期日に出頭すること自体を非難して押し止めるが如きは、被告人の権利たる弁護人依頼権の正当な行使といえるか、いさゝか問題と考える。被告人が弁護人の本件訴訟関与を自らの利益に反すると主張し、弁護人も被告人の利益に反することは許されないと言われるわけだが、被告人の主張する右利益というのは真に被告人の正当な利益に値いするものか。弁護人としては被告人の正当な利益を擁護するわけのものであつて、公判審理ないし裁判それ自体の拒否といつた現行法秩序のもとで正当性をもちえない、ただ被告人の恣意に発していると思われる利益までも弁護人は尊重せざるをえないものか。もとより弁護人は国選弁護人として選任されているので御苦労があること、被告人の態度が壁となつて、十分な弁護ができないため弁護人としての苦衷は推察に難くないが、ただ国選弁護人を辞任のほかなく、今後の公判期日に出頭いたしかねるとなると、本件が必要的弁護事件であることに照らし、御一考の余地はないものか。被告人の基本的立場とあい容れない行動に出ることは被告人の意思をふみにじり、被告人の不利をはかる行為とみなされるとの御意見もさることながら、被告人の態度から被告人のため十分な弁護ができないにしても、公判期日に出頭され、裁判所の行う訴訟手続が適正な手続のもとに行われているかどうか見守られることにも意義はないだろうか。ともかく当裁判所は本日の公判手続はこれにとどめ、本日の公判期日に出廷拒否している被告人に再考を求め、被告人の弁護人に対する意思を見きわめ対処したい。以上の当裁判所の見解を検討のうえ、以後の本件公判手続を進めていただきたい」

そして当裁判所は、次回公判期日を同月二二日と指定したが、被告人に対し、「被告人が本件訴訟の進行を阻止する立場をとつて国選弁護人に辞任を強要し、一方裁判所に寺下、武川両国選弁護人の解任を申立てている態度は理由がないこと、弁護人をして被告人のため弁護できない立場に追い込むことは被告人の利益でないから再考を願う。裁判所は訴訟手続に従い本件公判を進行するものであるから同月二二日の公判期日に態度を改め出頭する」よう勧告をした。以後に被告人から提出の右公判期日の変更申立書をみても、武川、寺下、両国選弁護人を誹謗し、両弁護人は被告人とは無関係である等と揚言している仕末で、依然としてその態度を改めるにいたつていない。

なお被告人から同月八日受付で田端悦子が京都地方裁判所に提起した損害賠償等請求事件の民事訴訟記録の取寄申請を求める期日外の証拠調請求があるも、当裁判所は、右証拠調の必要がないと認め、右請求を却下している。

かくして同月二二日の第二六回公判期日は、被告人は、またも出廷を拒否したが、当裁判所は、刑訴法二八六条の二を適用して開廷し、武川及び寺下両国選弁護人の出頭がなかつたものの、検察官の意見を聴いたうえ、以下に述べる理由から弁護人の出頭がなくとも、開廷して本件公判審理を進行しうると解し、当該期日の公判手続を進め、検察官から意見が陳述され、当裁判所は審理を終了するを相当としたので結審し、判決にいたつた。なお判決言渡期日においても、被告人は出廷を拒否したので、当裁判所は刑訴法二八六条の二の規定を適用して開廷し、また弁護人の出頭はなかつたが、本件判決を宣告した。

二、憲法三七条三項は、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる」として依頼を保障するとともに、「被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する」として国選弁護人選任請求権を認めている。これを受けて、刑訴法三六条では「被告人が貧困その他の事由により弁護人を選任することができないときは、裁判所は、その請求により、被告人のため弁護人を附しなければならない」と規定するが、憲法三七条及び刑訴法三六条による国選弁護人の選任は、元来被告人の自由意思にゆだねられ、その請求によりこれを附するものであるからもちろんその放棄も許されるところのものであつて、憲法上の国選弁護人の保障の規定の意味は決して絶対的なものではない。

一方刑訴法二八九条一項は、「死刑又は無期若しくは長期三年を超える懲役若しくは禁錮にあたる事件を審理する場合には、弁護人がなければ開廷することができない」とし、いわゆる必要的弁護事件においては、弁護人の在廷を公判審理の要件としているが、必要的弁護事件をどのように定めるかは刑訴法上の問題点で憲法三七条三項の関知するところではないから、必要的弁護事件においては憲法上も国選弁護を受ける権利があるというわけのものではない。

ところで本件は右の必要的弁護事件であるから弁護人の在廷が公判審理の要件であるが、どのような場合でも弁護人の在廷は絶対的であつて、弁護人不在のまま公判審理を行うことは許されないものであろうか。本件にあつては前記のように被告人は何ら正当な理由がなくまつたく恣意的に公判への出頭を拒否している。被告人に対し、本件につき主張ないし反証を尽せる機会は十分に与えられているにもかかわらず、被告人は、ただやみくもに本件公訴は不当だ、裁判所はこれにくみして不公正な裁判を行う、弁護人もそれに肩入れしているなどと、自らの偏執した独善的な主張にとらわれ、公判審理の拒否を貫こうとしているものである。そして裁判所が公判審理の進行をはかるや、裁判所が所定の手続により選任した適格有能な国選弁護人に格別の落度はないのに、その弁護活動を非難して不信頼を表明し、弁護人をして辞任せざるをえない状況に追い込んでいるのであつて、もはや誰が国選弁護人として就任するも被告人の意に満たない結果となつている。結局、被告人は弁護人が公判廷に出頭すると訴訟が合法的に進行し、被告人の意図する公判審理の拒否が果されず、かえつて被告人の利益に反するとして、いわば弁護人に辞任を強要し、弁護人をして出廷不能の心境に追い込んでいると評価せざるをえない。

もとより国選弁護人の選任及び解任権は受訴裁判所の権限であつて、本件のように国選弁護人が辞任を申出た場合でも、裁判所が辞任に正当な理由があると認めて解任の手続をとらない限り、弁護人たる地位を失うものではないと解する。従つて国選弁護人において裁判所の解任命令がない以上、弁護人たる地位に留まるので、公判期日に出廷して弁護活動をすべき義務があることになるが、本件にあつては、被告人の言動から弁護人が遂に出頭しようとしない気持も理解できないわけではなく、辞任を申出て出廷しなかつたのは被告人の責に帰すべき事由によるもので、これによつて生ずる不利益は被告人自らが甘受すべきものである。

そこで当裁判所は、必要的弁護事件においても、弁護人が出頭せず、そのことに被告人に帰責事由があるとき、なかんずく被告人が必要的弁護制度を濫用して訴訟の遅延をはかり、自らも出頭拒否を重ねているような場合、被告人の恣意により、裁判所が国民から付託されている裁判権の正常な活動が著しく阻害され、あるいは裁判制度が否定される結果になることを防止するため、やむをえず、必要な限度で、刑訴法二八九条の例外を認め弁護人不在廷のままで審理することが憲法、刑事訴訟法等の法秩序全体の精神に照らし、また刑訴法二八六条の二、三四一条の類推適用により許容される場合があると解するものである。すなわち、被告人が法の正当な手続によらずして処罰されない権利の十分に保障されるべきことは憲法上の権利であり、刑訴法上もこれに基いて手厚く被告人の権利保護の規定を設けている。しかし裁判制度は被告人のためにのみあるものではないことはいうまでもなく、裁判制度は民主制に基盤をなすものとして被告人のみならず、被害者や一般国民もまた利害関係をもち、真犯人が法の正当な手続によつて処罰されてはじめて被害者の被害感情も癒され、一般国民も確立された秩序のもとで安んじて生活をなしうるのである。刑事裁判制度は、このような被告人の利益ないし人権と一般国民の利益ないし公共の福祉との均衡の上に成立すべきものである。本件のような必要的弁護事件の公判期日において、被告人は出廷を拒否し、結局被告人の意向に従うのほかなく弁護人も出頭しない場合、審理を進めうるかどうかの問題は、直接的には、必要弁護の要請換言すると弁護人の在廷するところで公判審理の適正を期し丁重な審理の要請と迅速裁判及び民主社会における裁判の威信保持の要請等とが矛盾衝突する場合の問題と考えられる。ところで裁判制度上のもろもろの要請は互いに調和が必要であつて、一つの要請のみを絶対とし、その結果他の要請を排除する結果となることは許されない。迅速裁判及び民主社会における裁判の威信保持等の要請に著しく反することになるような如何なる事情があろうとも常に刑訴法二八九条の要請を優越させねばならないとするのは如何にも不合理である。被告人の恣意的行動によつて裁判所が何らなすすべもなく訴訟手続を全く進め得ないとすれば、裁判所が国民から付託されている裁判の進行をはかるべき権限と責任を果すことが不可能になり、一般国民の裁判に対する不信を招来し、ひいては裁判制度の根底をも揺がす結果となるおそれがある。本件にあつては、被告人に対する理性的な説得もその効がなく、被告人のかたくなな態度は一向に改められないで、裁判の進行を阻止する目的をあらわにして、明らかに刑訴法二八九条を著しく濫用するにいたつているといわざるをえない。このように右法条が本来予想しなかつた事態において、そのままこれを適用したのでは裁判制度上の他の正当な要請が甚しく害され著しく正義に反することとなる場合には、同法条を適用しないことが例外的に許されるものと解される。当裁判所は、本件の昭和五四年二月二二日の第二六回公判期日における事態は同法条を適用しないことが例外的に許される場合と考える。そこで当該期日の公判手続を行い、もはや審理は尽されたとせざるのほかなく、審理を終了し、判決にいたるもやむをえないことというほかない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 坂詰幸次郎)

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